教員組合が反応したということも、ましてや国会で議論されたということも、寡聞にして知らない。
I永教科書裁判を思い起こすまでもなく、戦後の教育史において、学習指導要領は重要な争点であった。
この裁判では、学習指導要領の法的拘束力をめぐって、教育を行う権利が国57家の側か、国民の側にあるのかが厳しく争われた。
また、国旗.国歌法制定のきっかけとなった「日の丸.君が代」問題にしても、学習指導要領を後ろ盾にした学校への「強制」がそもそもの発端であった。
このように歴史認識や「日の丸.君が代」といったナショナリズムに関わる場合には、学習指導要領の性格が大きく取り上げられる。
それに比べると、その根本的な解釈変更ともとれる今回の「最低基準」発言への反応の鈍さが、一層目立つのである。
このように波紋の広がらなかった「事件」だが、その意味するところは大きい。
しかも注目を集めないところから、私たちの教育問題の論じ方の限界や特徴が見えてくる。
第1に、これまで建前にすぎなかった最低基準という見解を、今度は本音で「現場に徹底」させようというのであれば、それでは教科書検定はどうなるのか。
「より高度な内容」を含む教科書も合格となるのか。
入試では、「より高度な内容」まで出題してよいのか。
これら、指導要領の性格づけによって左右される問題がすぐに現れる。
しかも、「より高度な内容」の解釈しだいでは、ナショナリズムに関わる問題にも発展しかねない。
学習指導要領は、法的拘束力を持ちながらも運用や解釈によって、いかようにもその姿を変える余地が広がったとさえ言える。
一昔前なら、N教組や教育学者がただちにその真意を質しただろう。
第2に、新指導要領の作成にあたった人びとに、今回からは盛り込まれる内容が最低基準であるという認識があったのかどうか。
とくに、義務教育の場合には、最低基準と見なして教える内容を考えるのと、これまで同様、上限規定として考えるのとでは、そもそも発想が違うはずだ。
最低基準の内容がきちんと学習されるかどうかも、すぐさま問題になる。
それによって進級.進学の判定のしかたも変えようというのか。
しかも、最低基準以上の「子どもの個性や能力に応じた指導を進めていく」のであれば、そのための条件整備にどれだけの財源をあてるのか。
教育をめぐるさまざまな問題に関連する「方針転換」であるにもかかわらず、教育界の反応は鈍いままである。
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